めぐりめぐらせ ~ある翻訳者の関心事~

在宅翻訳歴9年目の「めぐり」と申します。分野は「IT/ビジネス」、言語は「英→日」です。 twitter: @meguri_megurase

ごあいさつ
2017年という新たな年を迎えて(2016/1/24)
翻訳と、ブログと、twitterと。(1)(2016/9/10)
twitter始めました(2016/8/5)
在宅翻訳歴9年目を迎えて(2016/6/25)
ごあいさつ(2016/6/25)

翻訳
【翻訳】 小ネタ集_1(2017/1/28)
【翻訳】 ことばの持つ奥行や広がりに目を向けて(2016/11/23)
【翻訳】 ビジネスレターの書き出し(2016/11/21)
【翻訳】 正式名称と略語の処理(2016/11/21)
【翻訳】 お客様もう少しお待ちいただけませんか?(2016/11/19)
【オフ会】 新たな出会い(2016/11/19)
【翻訳】 翻訳チェッカーに関する未来堂さんの記事で感じたこと(2016/9/11)
【翻訳】 翻訳チェッカーに関する記事で感じたこと(2016/7/28)
【翻訳】 インプット(読む)とアウトプット(書く)をバランスよく(2016/7/21)
【翻訳】 用語集の確認は「基本中の基本」というお話(2016/7/18)
【翻訳】 長期案件後の雑感(2016/7/13)
【翻訳】 客先指定の用語集はあくまで「参考」というお話(2016/6/28)
【翻訳】 人名の表記(2016/6/26)

趣味
【キツネ】 お散歩中、キツネに出会いました(動画あり・声入り)(2016/8/19)
【鳥】 ツバメ
【鳥】 アオバズクの観察会に参加(京都御苑)(2016/7/6)
【音楽】 寺井尚子さん(ジャズ・バイオリニスト) ― リベルタンゴ(2016/6/26)

ことば
【語彙】 high level(2016/11/21)
【ネット・スラング】 bae(2016/8/7)
【語彙】 ICT(2016/8/6)
【語彙】 Opportunity(2016/8/5)
【ことば】 蝉時雨(2016/7/30)
【語彙】 取り崩す・切り崩す?(2016/7/21)
【語彙】 気遣い・気使い?(2016/7/21)
【語彙】 テクロノジー・ハラスメント(テクハラ)(2016/6/26)

息抜き
海外からの観光に「京都国際マンガミュージアム」?(2016/11/21)
【YouTube】 「Let It GoをGoogle翻訳で訳したら大変なことになった【歌ってみた】」(2016/7/14)
Seven Wonders Of The World(2016/6/28)

【YouTube】 「日本昔話をギャル語にしてみた結果wwww」(2016/6/26)

ツール
【Chrome拡張機能】 サムネイルなんていらない!新しいタブで真っ白なページを開く「Empty New Tab Page」(2016/8/7)
【livedoorブログ】目次を作成してみた(2016/7/20)
【Chrome拡張機能】 目障りな広告をブロック!「Adblock Plus」(2016/7/20)
【Chrome拡張機能】 Chromeの検索窓にフォーカスを!「forward slash search」(2016/7/13)
【Facebook】 不要な広告を表示させないようにする(2016/7/6)
【Facebook】 友達から謎サイトへの招待が届いた場合(2016/7/6)
【ショートカット】 特定のウィンドウを移動する(2016/7/1)

勉強
【読書】 『機械じかけの猫』(上・下)(2017/1/24)
【勉強】 Jill Bolte Taylor's stroke of insight (TED Conference)(2016/8/19)
【勉強】 ミシェル・オバマのスピーチを視聴して(7/25 米民主党大会)(2016/8/6)
【勉強】 お勉強(記事の音読+入力)のポイント(2016/7/5)
【勉強 2】 「シンプルジャパニーズで英語の苦手意識を克服」という記事(2016/7/2)
【勉強 1】 マイクロソフトのLinkedIn買収に関する記事(2016/7/1)
【勉強】 これからの日課:気になった記事の音読+入力(目標:1日1記事)(2016/6/30)

ニュース拾い読み
【ニュース】 Facebook、複数の言語で投稿するための機能を公開(2016/7/6)
【ニュース】 「Windows 10へのアップグレードのお知らせ」は最終段階になると画面全体を覆うことが判明(2016/7/4)
【ニュース】 Google Chrome経由でFacebookユーザーにマルウェア感染が広がる(2016/6/30)

人生
【岐路】 私がスペイン語を勉強しようと決めたワケ(2016/11/30)
【節目】 旅の途中(2016/7/16)

日常
【おでかけ】 三井寺の秋の夜間拝観(2016/11/24)
【出会い】 蝉時雨のあとに(2016/9/4)
【雑感】 夏休みが終わって(2016/9/4)
【知恵】 照明スイッチのばねの取り換え(2016/7/20)
【雑感】 いよいよ夏休み(2016/7/20)

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今回は、翻訳について以前にtwitterでつぶやいたことのある小ネタを集めてみました。少し説明を補足していますが、あくまで小ネタですのでさらっといきたいと思います。必ずしも対訳形式ではないので、経験されたことのある方なら「ああ、あれのことね」とピンとくるものもあるでしょうし、そうでない方には「ん?なんのこと?」と思われるものもあるかもしれません。いつかどこかで何かのヒントになればうれしいです。

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「A, B, and C were the early (first) adopters of」を「他社に先駆けて~を採用したのは、A、B、Cです」とすっきり処理されているのが気持ちいいなぁ

《補足》私が担当する分野では「early adopter」は比較的よく出てくる用語で、「初期(早期)採用者」とか「初期(早期)導入者」とか「アーリーアダプター」なんて訳されているのを見ますし、もちろん文脈によってそのように訳すことも多いのですが、だからといって全部が全部そうすればいいというものでもありません。これはこの用語に限ったことではなく、ほかのどの頻出用語にもいえます。たとえば、IT分野で「application」は頻出用語ですが、いつもいつも「アプリケーション」と訳していいかというと違います。文脈によっては「応用」や「用途」、その他の表現を選択すべき場合もあるわけです。決まった訳語を機械的に当てはめていると、いつか足をすくわれることがあるかもしれません。


「そこで、~が重要になります」とするのと、「そこで重要になるのが、~です」とするのではインパクトが違いますね。

《補足》 これは、どちらかが正しいというものではありません。その文脈においてどちらがより効果的な表現かというお話です。「It is important to~」をいつも「~することが重要になります」と訳していませんか?


「a part of ~」を「~の一部」として不自然だと感じたら、たとえば、取り組みなら「一環」、チームなら「一員」や「一翼」、集合体なら「要素」、あるいはその状況を「~に含まれて」、「~で利用されて」、「~に組み込まれて」などと言い換えてみるといいかもしれません。

《補足》反射的に「~の一部」とせず、個々の文脈に合った日本語として自然な表現を柔軟に判断したいですね。


「プロのような」→「プロ並みの」

《補足》誤訳ではないけれど、少し表現を工夫することでいわゆる「こなれた」訳になることも多いように思います。


長所を伝える場合、「多く(多数)の」とするより「多彩な」とするほうが文字通り文章に彩りを添えることができますね。

《補足》長所を伝えるときは華やかな表現を使うと、文章がぐっと魅力的になりますよね。


「その結果得られるデータは」とするより、「こうして得られたデータは」とすることで、読者がより自然に作業の流れを感じられるように思います。

《補足》おそらく原文では「the resulting data」だったのだろうと想像しますが、直前の文章を受けての「resulting」の場合、わざわざ「結果として得られる」というような説明調にしなくても十分伝わると思いますし、読者の思考の流れを妨げないのではないでしょうか。


原文(英語)では「〇〇を××する必要があります。〇〇を××するには~」という表現がけっこうありますが、訳文(日本語)では、「〇〇を××する必要があります。そのためには~」と後半を省略したほうがすっきりして、読みやすくなることも多いですね。

《補足》原文のこの形、よく見かけるように思います。前述のとおり、読者の思考の流れを妨げないことが大切だと思いますので、原文では繰り返しのくどい表現になっていても、訳文では代名詞などを使って簡潔に表すほうがいい場合もあるでしょう。これで訳抜けだと指摘されることはまずないと思いますが、万一指摘されたとしても自分がきっちりとその理由を説明できるようにしておけば問題ないと思います。

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長くなりそうなので、今回はここまでにします。

訳抜けの指摘を心配して逐語訳を意識しすぎてしまうと、そこにばかり集中して、日本語でまわりくどい表現になってしまうことや、普段そんな言い方しないよね、という表現になってしまいがちです。著者が伝えたいことを「読者の思考の流れを妨げない」方法で表現することに意識を向けるだけでも訳文が変わってくるように思います。翻訳のテクニックを学ぶことも大切ですが、結局は文字を介したコミュニケーションなので、「自分がこの文章の著者なら読者にどんな語順で、どんなことばを使って趣旨を説明するかな?」と考えながら訳すこと、裏を返せば、「こんな言い方、普通するかな?」という目で自分の訳文を見直すこと、これを心がけるだけで「日本語として不自然な訳文」から「自然な(こなれた)訳文」に近づけるのではないでしょうか。上記の例がそんな意識の転換に役立てば幸いです。

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2017年新年のご挨拶でも書いたように、今年は読書の時間も意識的に増やしていきたいと考えています。この記事を書くにあたってどのカテゴリに入れようかと考えたのですが、「翻訳」でもないし、「趣味」だと積極性が感じられないので、自分への言い聞かせの意味も込めて「勉強」に分類します。

目的はアウトプット。ブログを始めた目的の1つでもありますが、日本語力の向上にアウトプットも不可欠だということで、たまにこうして読んだ本について書いていきたいと思います(たぶん)。

2016年末から2017年今日現在までに読んだ本は計7冊。今回は読み終えたばかりの『機械じかけの猫』について書きます。よろしければおつきあいください。

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『機械じかけの猫』(上・下、トリイ・ヘイデン著、入江真佐子訳)

この本は書店の平積みから取ったはずなので、2000年の初版当時に購入したことになる。かれこれ16年前。まだ独身だったころだ。実家にあった本はずいぶんと処分したけれど、なぜかこの本は残っていた。

頭の片隅にサイコ・ホラーやサイコ・サスペンス的な読後感が微かに残ってはいたものの、詳細はすでに忘却の彼方。この本のキーパーソンの1人である男の子に対するおおよその印象も、当時は「精神に異常をきたした子」にとどまっていたように思うが、一児の親となった今、それだけのフラットな心持ちではいられず、より感情移入して読むこととなり、もはやこの本は自分の中で「サイコ」という単純な括りではなくなった。また、私自身、初読時以降に自閉症の人と一時期過ごす機会があったが、共通点らしきものは浮かばないながらも、時折彼の姿が頭の中でオーバーラップしたりもした。

この本自体は過去・現在・異世界の3つの物語が交互に進行され、上巻では主人公格の1人である女性が主な語り手となって話の表面をなぞるように進むため、物語の輪郭がぼやけ、じれったさを感じたりもしたが(それも作者の計算の内だろう)、下巻へと進むにつれ「語り」色は薄れ、個々の物語が具体性を帯びて輪郭がより鮮明に描かれるようになり、それぞれが独立した読み物としての緊迫感を増していった。そして、最後にはすべての物語が集約され交差する。

ハッピーな読み物では決してない。どちらかといえば、冬の曇天あるいは嵐の前の暗雲を思わせるどんよりとした不穏な空気が終始つきまとうような内容なので、人によって向き不向き・好き嫌いもやむなしといったところだろう。構成がしっかりしていて読ませる文章なので、上下巻共に350頁近くあり、字も大きくはないが、気が付けば一気に読み終えていた。個人的に嫌いではない。

過去に一度読んだ本とあって、今回特に感じたのは「1冊の本が持つ意味は人生のステージによって変わる」ということ。つまり、いつ読んだかによって本の印象、もっと言えば感じられる設定やことばの重み、登場人物への感情移入や同情の念というのは大きく変わるのだなぁということ。そして、重ねた年のぶん、背景に対する理解度も増す(若い頃には想像力で補っていた部分を実感を持って理解できる)のだということ。

一生かかっても読み切れない数の本が巷に溢れ、子どもの頃ならいざしらず、一度読んだ本を読み返す時間的余裕もそうそうない中で、人生の別のステージに進んだときにあえてもう一度同じ本を手に取ってみることのおもしろさを発見したように思う。大なり小なりそこから学ぶこともきっとあるだろう。なによりも、以前とは違う感想を持って読み終えたとき、気付かない間に変化した自分の考え方やライフスタイルを見つめ直し、もしかすると忘れてしまっていた大切なことを思い出すきっかけになることもあるのかもしれない。今後も折に触れ昔読んだ本を手に取りたいと思った。

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1月もすでに1週間を残すばかり。個々に年始のご挨拶をさせていただくべきところ、失礼ながら本稿をもってご挨拶に代えさせていただきたいと思います。本年もどうぞよろしくお願いいたします。

Twitterに投稿したとおり、本年の私個人のざっくりとした目標は、『他者と比べることなく、驕ることなく、謙虚に自分を見つめ、丁寧に仕事を進め、家族を愛し、人を敬い、自然を愛で、変化をたのしみ、流されず、余裕を忘れず、人生に責任を持ち、わが道を邁進する』としました。今年こそ、「ぼやぼやしているうちに1年が過ぎていた」という例年の状況を打開すべく、折々の状態をこれらの目標に照らして自己評価していきたいと考えています。

一翻訳者としては、はやる気持ちを抑え、ここ最近は長らく遠のいていた純粋な読書を楽しむ時間も意識的に増やすようにしています。在宅でIT・ビジネス分野の英日翻訳を始め丸9年、2月にはいよいよ10年目に突入しますが、ずっと母語である日本語を磨く必要性を痛切に感じつつ、積極的に何をするでもないまま、目先の仕事に流されてきました。日本語を磨くといってもいろいろな方法があろうかと思いますが、やはり続かなくては意味がないということで、まずは読書を楽しみながら、これまでとは違う視点からさまざまな文章に触れていきたいと考えています。文章力というものは、ある朝目覚めたら劇的に伸びていた、なんてことはありえないわけで、これまで以上にことばへの感度を高めつつ、地道に取り組んでいくほかありません。英語力も並行して磨ければ理想ですが、二兎を追うものは~にならぬよう、当面は自分にとって9年間の最大の課題であった日本語力のさらなる向上に努めたいと思います。

それでは、皆さまにとって今年一年が心身ともに健やかで、実り多きすばらしいものとなりますように。

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最近、ある心境の変化からスペイン語を勉強しようと考えるようになりました。

その理由は、twitterでフォローさせていただいている方が1か月ほど前に紹介されていたこちらのtogetterの記事です。

海外に住む日本人シニアがボケて、日本語しかしゃべらなくなることについて
(※Hiroyuki Takenagaさんという米国在住の方のツイートとその関連ツイートをtazawa(@tazawaw)さんという方がまとめられたものです。)

実は今までプライベートで直接やりとりさせていただいた方を除き公言していなかったのですが、うちはいわゆる国際結婚で、だんなさんの母国語がスペイン語なのです。

公言していなかったのは、ブログとtwitterを始めた目的が「翻訳者」としての自分の頭の中を発信することだったので、「うちの家庭環境は関係ないだろう」と、特にその必要性を感じなかったためです。

英語圏で出会ったこともあり、だんなさんが日本に来て最初のうちは英語で会話していましたが、子どもが生まれたのを機になるべく日本語で話すようになりました。日本でこれからずっと家族で住むためには、だんなさんの日本語習得が最優先事項でしたから。

私自身はスペイン語をどうしても話さなければならない環境に身を置いたことがなく、スペイン語を勉強せずにきました(スペイン語のテキストは何冊か持っていますが、開くたびに男性名詞・女性名詞、その他もろもろの変化形を見ては眠くなり、早々に挫折していました)。いずれにしても、「何かあれば英語でコミュニケーション取れるんだから...」と思っていたのです。

でも、このtogetterを見て少し気が変わりました。「じゃあ実際にどんな勉強を始めたの?」と言われると、だんなさんに自分が知っている単語で話しかけるようになった程度ですが、心境の変化があっただけでも今までの自分からすれば大きな一歩です。

本題に移ると、このtogetterでは、主に海外に住む日本人シニアが話題になっていて、その方たちが認知症やアルツハイマーを発症すると、途中で習得した言語を忘れて母国語しかしゃべらなくなり、現地語しかしゃべれない家族や友人とコミュニケーションが取れなくなるというものです。

このような話は今まで聞いたことがなかったので、最初見たときは寝耳に水、青天の霹靂といった気分でした。将来、自分の大切な家族とコミュニケーションが取れなくなる可能性があるなんて...。なんだか悲しくなって、同時になんともいえない焦りも感じました。

早速だんなさんにこのことを伝え、togetterを読んでもらい、少しずつスペイン語を普段の会話に取り入れることにしました。子どもには強制しておらず、親が会話している様子を見て何か感じてくれればいいなという段階です。思春期にさしかかろうかという年頃なので当分様子を見ようと思います。最近は日本語onlyでしゃべることの多い父子ですが、もう少し小さい頃はだんなさんがスペイン語で話しかけてから日本語で言い直すということをしていました。むすこはスペイン語を話せませんが、簡単な会話なら理解できると思います。あのとき私がもっと協力的だったらなぁ...と悔やまれてなりませんが、過ぎたことを言ってもしょうがないのでこれから少しずつ努力していこうと思います。これまで日本語を覚えようと頑張ってきてくれただんなさんも、自分の母国語を少しずつ覚えようとしている私を見て嬉しそうにしてくれています。そして、そのだんなさんの様子を見て私も嬉しい。

今回このことをブログに書こうと決めたのは、もしかしたらほかにもこの情報を必要とされている方がおられるかもしれないと思ったからです。海外在住の方もおられるでしょうし、うちのように日本に住んでいてパートナーの母国語をしゃべれない方もおられるでしょう。もちろん誰もが将来母国語しかしゃべれなくなることはないと思いますが、私がこのtogetterを今知って良かったと思ったように、そう思う方もおられるかもしれないと...。何かあっても知っていたのと知らなかったのとでは大違いですから。

最後に、このトピックをtwitterで発信してくださった方、togetterにまとめてくださった方、togetterを紹介してくださった方、ありがとうございました。この情報は私にとってeye-openerとなりました。

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日増しに秋も深まり......なんて思っていたら、関東では雪ですか。

まったく秋を満喫していないうちから冬の到来を感じさせる今日この頃、

せめて何かひとつくらいは秋らしいことを...と思い、三井寺の夜間拝観へ。

先週末(18日)に始まったばかりなのに、もう今週日曜日には終わるそうです。

なんだかさびしい......紅葉狩り、皆さまもお早めに。

ちょうど今日の夕方、関西のテレビ番組で三井寺が映っていて知ったんですが、

秋の夜間拝観は去年から始まったそうです。

山裾から中腹にかけて建物が点在していて、けっこう見ごたえがあります。

私は19日に行ったのですが、石段を登り切ったところにある本堂近くの

舞台では、若者4人組によるコンサート(ボーカル、二胡、ギター、

シンセサイザー(たぶん))が開かれていて、ゆったりとした歌謡曲と

淡いスポットライトを浴びた紅葉のグラデーションで癒されてきました~。

桜の季節に行くのもおすすめです(桜の方が有名かも)。

今回、息子のリクエストで春に引き続き三井寺になったんですが、

お目当てのみたらし団子がおでんに変わっていてちょっと残念そうでした。

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さて、「twitterでいつかつぶやいたことある」シリーズが続いていますが、今回もそんな内容です。

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日本語では単数形と複数形を英語ほど明確に書き分けないですよね。ただ、一文字足すだけで表現に奥行や広がりが出る場合もありますね。たとえば、「層」、「陣」、「帯」なんかがそうですね。「客層」とか「教師陣」とか「価格帯」とか。

ほかにも、

「諸」:諸事情、諸国...
「各」:各種、各国...
「方」:先生方、奥様方...
「列」:車列、列強...
「団」:使節団、代表団...
「類」:規格類、鳥類...

など、いろいろと挙げられます。

また、私の扱う文章では「the researchers」という表現がよく出てくるんですが、その研究者らが目的を同じくする集まりだった場合は「研究チーム」とすることもあります。そう考えると、英語の複数形は日本語では何らかのグループとして一塊で捉えることが多いのでしょうか。

英語の複数形を日本語で同じように表そうとして真っ先に思いつくのが、「国々」、「~たち」、「~ら」、「さまざまな」、「多くの」という直接的な表現ですが、上記のような表現をたくさん自分の引き出しに入れておくと日本語の文章に深みが出るかなと思っています(もちろん、直接的な表現も文脈によって効果的な場合がありますよね)。

さらに、人の集まりを「顔触れ」と表現したり、「選手団」とした後に「一行は」と言い換えたり、英語では単に同じことばが繰り返し使われている場合や代名詞が使われている場合でも、日本語では文脈に応じて言い方を変えてみるのもいいですね。

一文字足す以外にも、動詞で「複数形の重み」を表すこともできますね。「並ぶ」は「軒を連ねる」、「集まる」は「一堂に会する」とするなど...

奥行や広がりという観点から言うと、「場」や「面」なんかも。「発表の場」とか「多面的に」とか。「~という点では」というのと「~という面では」というのとではちょっと違います。

話があちこちに飛びましたが、いわゆる「直訳調」か「こなれた文章」かの違いってこういうところにもあるんじゃないかなぁと思います。最近、AIによるニューラル翻訳が話題になっていますが、こういうことばの選択こそ人ならではの感性がものをいう場面ではないでしょうか。

引き出しやポケットにこうした奥行や広がり、重みを感じさせることばをたくさんストックして、いつでも出せるようになりたいな、その場その場でぴったりの表現を使い分けられるようになりたいな、と常々思っています。頭ではわかっていても、いざ原文を目の前にすると横のものを縦に置き換えるのに必死でなかなかその境地に達しないのが悩ましいところですが、それにはやはりインプットしたものを日頃からアウトプットする練習が必要なんでしょうね。

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私の場合、実際にやりとりされているビジネスレターを訳す機会はありませんが、たまに手順書などにくっついている「ビジネスレターのテンプレート」を訳すことがあります。

英語のレターではいきなり本題から入ることが多いと思うのですが、礼儀を重んじる日本の商習慣にはなじまないことも...

そんなとき私は、本文の冒頭に「平素は<社名>の製品(サービス)をご利用いただき誠にありがとうございます。さて、......」というように一文加えています。

このくらいまでは翻訳者の裁量の範囲ではないでしょうか(時候の挨拶まではやりすぎですね)。あとは申し送りに一文加えたことを明記しておけばいいと思います。実際、そうして翻訳会社から何か言われたことはありません。

もちろん何も加えずに原文を活かして自然なビジネスレターになれば一番ですね。たとえば、「このたび、......」と始めて違和感がなければそうします。

言うまでもありませんが、そのビジネスレターの目的が何で、宛先は誰か、ということを意識して都度判断する必要がありますね。

また、最後が「Thank you.」で終わっている場合、どう考えても「ありがとうございました。」はおかしいですね。これもそのレターの目的や直前の文に合わせて、「ご意見・ご質問がありましたらご連絡ください。」、「ぜひご応募ください。」、「よろしくお願いいたします。」、「何卒ご了承ください。」などなど、いろいろ工夫できそうですね。

ちなみに、プレゼンテーションの最後の「Thank you」は「ありがとうございました」や「ご清聴ありがとうございました」としている例が多いように思います。

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京都国際マンガミュージアム、皆さん行かれたことありますか?私はまだありません。

各国語のサイトもあるし、Facebook(FB)にも英語版があるので、「翻訳書も置いているのかな?」と思ってFBにアップされている写真を眺めていたら、フランス語コーナーの写真がありました。英語をはじめ他の言語に翻訳されたマンガもありそうですね。展示物には英語の説明も併記されているようです。マンガを描いてみるワークショップなんかも楽しそう。

以前、海外からうちに遊びにきた18歳の男の子が日本のマンガやアニメで育ったと言っていたので、外国からのお客様を連れて行くのも良さそうですよね。どうしても京都というと神社仏閣がメインの観光になりがちなので、たまにはこういうのも新鮮でいいなと思いました。

機会があれば行ってみたいと思っています。行かれたことがある方は感想を教えていただけるとうれしいです。(^^)

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私が扱うIT分野の英語原文にはかなりの頻度で略語が出てきます。

そして、大まかに分けて①原文中に略語しか出てこない場合と、②初出時には正式名称でそれ以降は略語になる場合の2パターンあります。

①原文中に略語しか出てこない場合

その略語が何を意味するかわからないと正確な翻訳は無理なので、用語集に載っていない場合は、(A)クライアント(お客様)サイトでサイト内検索をかけるか、(B)ネットで検索します。(A)か(B)、どちらを先に行うかは文脈でだいたい目星をつけています。

(A)クライアント・サイトでサイト内検索をかける場合

たいていは社内の役職名や製品名の略称だったりします。ただ、社内で複数の異なる名称に同じ略称を使うというトラップもちょいちょいあるので、注意が必要です。最初に見つけた正式名称とおぼしきものが、翻訳対象文の文脈に合うかどうか確認しなければなりません。

※ただ、略語しか出てこない文書は、たいてい社内文書や協力会社と共有する準社内文書だったりするので、意味を理解するだけで訳文でも略語のまま使うことが多いです。

(B)ネットで検索する場合

原文中に略語しか出てこない場合はたいていメジャーな団体や機関、業界標準、規格類の略称だったりするので、比較的すぐに見つかります。

※対象読者やドキュメントの種類によって、メジャーな略称の場合は訳文でもそのまま使い、マイナーな場合は正式名称をカッコ書きで補うこともあります。


②初出時には正式名称でそれ以降は略語になる場合

基本は①と同じですが、私がいつも注意しているのは、「初出時には正式名称のみで、それ以降はいきなり略語になる場合」の処理です。

たとえば簡単な例でいうと、原文で初出時は「Information Technology」、それ以降は「IT」となっている場合、訳文で初出時は「情報技術」、それ以降は「IT」としてしまうと、訳文の読者には「情報技術 = IT」だとわからない可能性があるわけです。

そんな場合は、たとえ原文でそうなっていなくても初出時に「情報技術(IT)」とカッコ書きを補っています。

こういう②のケース、けっこうあります。しかも、2回目以降の略称がずいぶん後になって出てくるケースも...

「情報技術 = IT」ならピンとくる読者もいるかもしれませんが、機関名など正式名称が長く、日本語の定訳があるもの、たとえば「欧州ロケット開発機構」ならどうでしょう?後からだいぶ離れて「ELDO」と出てきても、(専門家ならいざ知らず)一般読者にはこの2つが同じものだとはわからないでしょう。そこで、初出箇所に戻って「欧州ロケット開発機構(ELDO)」とカッコ書きを足すわけです。

ちなみに、略語のほうが一般的にメジャーな場合は、原文でたとえば初出時に「Information Technology」となっていても「IT(情報技術)」と略語の方をカッコの外に出してしまうというように、ケースバイケースで処理しています。

何かの略語が出てきたときに上記のことを頭の片隅に置いておくと、より読者に寄り添った訳文になりますよね。こういうのは「原文の表記どおり」四角四面に対応するよりも、柔軟に対応すべき部分だと考えています。

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皆さんは、「high level」と見て真っ先にどんな訳語を連想しますか?

「高度」、「高水準」、「上層部」などでしょうか?

でもちょっと待ってください。その訳語、文脈に合っていますか?

「high level」は上記のほか、「大まかな」や「概要」という意味でも使われます。

たとえば、「This document provides a high-level view of ~」なら、

「本書では、~の概要を示します(~について概説します)」となります。

わからない単語を辞書で調べるのはもちろんのこと、

「意味を知っているはずなのに、なんとなく文脈に合わないな」と感じたら、

いったん立ち止まって英語サイトをはじめネット上の用例や解説を

調べてみることも大切ですね。

twitterでもつぶやいたのですが、私はときどき翻訳された日本語版のWebページを原文(英語)とは突き合わせずに読むようにしています。純粋な日本語として。

もちろん訳文ということでは自分の成果物を日常的に嫌というほど見ているわけですが、なかなか自分の「クセ」には気付けないもの。また、その時点で原文が頭の中にあるので、知らず知らずのうちに英語の表現に引きずられているということもあるでしょう。そこで、一読者としてほかの翻訳者さんが訳したものを見て、どこで「ひっかかる」かを客観的に考えてみようというわけです(そして、自分の訳文も客観的に見られる目を養いたい)。

日本人が日本語で書いたお手本のような読みやすい文章に触れるのも大切なことですが、上記の作業を「仕事から離れて」することで見えてくるものも確かにあります。「この言い回し、わかりやすいな」、「ちょっとここ不自然だな」、「この表現、すてきだな」、「どうしてこんな訳になってしまったんだろう」、「この語順だとどちらの意味にも取れてしまって誤解を生むな」、「こうしたほうがスッキリするな」などなど...(都心ならそういった勉強会に参加できる機会もあると思いますが、地方で小学生の子どもがいる身だとなかなかそうもいきません。だからせめてもの「ひとり勉強会」です)。

先日、同じように某社のブログ記事を見ていました。CEOがどこかのカンファレンスで行った基調演説の内容です。原文を確認しなかったので推測ですが、2000ワードほどのものだったと思います。内容にもよりますが、1人の翻訳者が1日でできる分量といえるでしょう(実際にそこまで専門的な内容ではありませんでした)。

読み進むうちにあることに気付きました。どうやら3人の翻訳者さんが分担したようなのです。途中で2回、明らかに文体が変わりました。

1人目は言い回しも凝っていて、CEOにふさわしい言葉遣い。読みながら「なるほどなぁ」、「いいね」という表現が随所に見られました。

変わって2人目は、日本語で読んでもたどたどしい表現。おそらくCEOが「We」と言ったところをすべて「私たちは」と訳出していて、セグメントごとに「私たちは」から始まるほど「私たちは」のオンパレードでした。ちなみにこのブログ記事、Trados案件ではないはずです(もちろん、翻訳者さんが自主的にTradosを使用している可能性もありますが...)。1人目が良かったぶんギャップが大きすぎて、不自然さが際立っていました。

そして、3人目。「ここはこうしたほうがいいかな」という表現もありましたが、全体的にすっきりと素直な訳文で好感が持てました。おそらくコンスタントにこのくらいのパフォーマンスが出せれば、産業翻訳者としては安泰なのじゃないかなという感じでした。

まぁ、こうして人様の翻訳を見てえらそうに言っていますが、別に誰かの成果物をディスるためにやっているわけではありません。私にとってこの作業はけっこういい勉強になる(自分の訳文を省みるきっかけになる)のです。

さて、期せずして今回は1つの記事で3人の翻訳者さんの訳文を見比べる機会を得たわけですが、やはりこうした「読み物系」の文章ではそれぞれの個性が否が応でも浮き彫りになってしまいます。ましてやCEOによる基調演説という、それ相応の言い回しが求められる場面では。

さぁ、ここからがタイトルどおり本題です(いつも前置きが長いですね)...

前述のとおり、この記事、おそらくまる1日あれば1人の翻訳者でも十分に対応できた分量です。もし1人目の翻訳者さんが全量を担当されていれば、CEOの基調演説にふさわしい、すてきな日本語版の記事になっていたでしょうし、3人目の翻訳者さんなら全体的にすっきりとした読みやすい記事になっていたはずです。それが、3人で分担することで、つぎはぎの目立つ不自然な気持ち悪い文章になってしまいました。

たとえば、膨大な量の手順書や時間が命のニュースリリースなど、複数人で翻訳を分担することにある程度の意味や妥当性がある場合もあるでしょうが、このCEOの基調演説はどうでしょう?CEOってその会社の顔であり、そのことばには重要なメッセージが込められているはずです。「質」より「時間」が優先されるようなものでしょうか。実際、今回取り上げた記事は、某社にとってイメージダウンになることはあっても、イメージアップにつながることはないでしょう。

お客様(以降、「クライアント」)が少なくともあと1日待っていれば...そう思わずにはいられません。

しかし、ここで書いてもとうていクライアントの耳には入らないでしょう。当然、私からクライアントに直接連絡することもできません。じゃあ、なぜ書いたかというと、不特定多数の翻訳会社の中の人の目には留まるかもしれないと思ったからです(私のブログの場合は、「不特定少数」ですが...)。

クライアントから言われたとおりの納期を達成することも信頼や顧客満足を得るうえで大切なこととは思いますが、今回のように「時間」より「質」が優先されるような場合は、翻訳会社から「1人の翻訳者が担当するメリット」を提案することで得られる信頼もあると思うのです。

事実、今回のように3人態勢で必死に納期に間に合わせたとしても、納品を急がせた当のクライアントはそんなことも忘れ、全体として不自然な成果物を目にして不信感を持ったかもしれません。結果、翻訳会社は自社の評価を下げ、クライアントは特急料金を(おそらく)払ったにもかかわらず成果物の質を下げるだけに終わってしまう。

担当した翻訳者は翻訳者で、全文を担当できないことで不完全燃焼になり、達成感が得られなかった可能性も大いにありますし、そうでなくてもいったん全文を読むという余計な負担がかかります。

翻訳会社も、コーディネーターさんレベルでは複数の翻訳者を探す手間がかかります。それがいくらコーディネーターさんの役割だといっても、必ずしも翻訳者がすぐに見つかるとは限らないなか、毎回手探りで翻訳者を見つけるストレスは大変なものでしょう。できるなら避けたいはずです(翻訳会社としては特急料金が入ってくればいいのかもしれませんが)。

また、チェッカーさんも、複数人で分担したものをチェックするのには限界があるでしょうし、とうてい日本語の質の統一までは手が回らないでしょう。もやもやする作業になるだろうなぁ、と容易に想像がつきます。

たとえば手順書なら、複数人で分担しても「比較的」訳文の質にバラツキは出ないでしょう。しかし、そうじゃないものもある。その点を翻訳会社からクライアントに1人の翻訳者が担当する「メリット」として積極的に説明し、そうなるように納期を調整できれば、きっと関係者全員にとってプラスになるはず。「メリット」としての提案なら、クライアントも耳を傾けてくれるのではないでしょうか。そればかりか、必要に応じて適切な提案を行うことで、ビジネス・パートナーとしての信頼の構築にもつながることでしょう。

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11月も後半に突入し、今年もあとわずか。
かれこれ2か月あまりブログを放置していたことになります。
仕事に追われていたのもそうですが、いろいろと考えるところもあり、ブログから足が遠のいていました。

その間にも、英語関連のお仕事(翻訳・通訳)をされている方々とお会いする機会が三度ほど...。在宅翻訳を始めてこのかた丸9年になろうかという私ですが、今までほぼ同業の方とお話しする機会がなかったのは何だったんだろうというほどの頻度です(当社比)。

うち2回はブログとtwitterでのご縁で実現したものでした(実現していただいた、といった方がいいかもしれません)。残り1回も、お会いしたグループの中にたまたまその少し前にtwitterで知り合った方がおられてびっくりしました。それもこれも、ブログとtwitterを始めていなければなかったご縁なんだなぁと思うと、ありがたくもあり、不思議でもあり...。今までにない視点から物事を捉えるきっかけにもなりました。

やはり人と会うのはいいですね。在宅翻訳を始めてからめっきり人と会う機会が減りましたが、それ以前は多くの出会いと別れの中に身を置いてきました。今回の皆さまとのすてきな出会いを通じて、「あぁ、自分はやっぱり人が好きなんだなぁ」と改めて思い出したのでした。普段、黙々と仕事をしている反動か、少し調子に乗ってしゃべりすぎたような気もしますが、お会いした皆さまには大目に見ていただけると嬉しいです...。そして、ありがとうございました。

師走が押し迫るなか、寒くなる一方の今日この頃、皆さまどうかご自愛ください。

※冒頭の赤とんぼの写真は一昨日撮ったものです。赤とんぼを見たとき、「まだ秋はここにいたんだ」となんだか嬉しくなりました。もう少し、秋を楽しめますように...

前回の私の記事「翻訳と、ブログと、twitterと。(1)」が途中ですが、今回はチェッカーに関する話題を取り上げたいと思います。

未来堂さんのブログ記事『チェックについて① 前書き』と『すべては翻訳の質で決まる』を拝見して、私なりに感じたことを書きたいと思います。

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チェッカーというお仕事についての未来堂さんの一連の記事はまだ続いていますが、現時点で投稿された2つの記事の文面から未来堂さんが感じておられる「もどかしさ」が伝わってきます。

数回でもチェッカーのお仕事をしたことがある翻訳者さんなら、未来堂さんのおっしゃっていることを実感として理解される方も多いんじゃないでしょうか。

2つ目の記事のタイトル『すべては翻訳の質で決まる』というのは、そのとおりだと思います(以降は私の考えですので、IT/ビジネス分野の英日であることを前提として読んでください)。

他分野ではどうかわかりませんが、IT分野ではその特性上、他の翻訳者さんの訳文がネット上に掲載されているので、チェッカーのお仕事をしなくても目にする機会が多い。しかし、チェック→校正→クライアントを経て掲載されたであろう「完成版」ですら首をかしげたくなるものも少なくありません。

「首をかしげたくなる」とはどういうレベルかというと、私自身の一次訳か、それよりもひどいというものです。

「もし本当にそのレベルで納品しても許されるなら、少なくとも今の1.5倍の分量は処理できるな」と思うのですが、やはりプロを名乗る以上、私はそうしたくはありません。それに、たとえそうしたとしても、きっと最終的にお仕事が来なくなって意味がなくなるでしょうから。その頃には、自分自身の翻訳スキルも後戻りできないくらいに落ちているかもしれません。

ではなぜ、そのレベルのものがまかり通っているのでしょうか。最低限、トライアルは合格したはずなのに...。翻訳学校を併設する翻訳会社では、トライアルを実施せず、「学校の成績で判断して登録」ということもあるかもしれませんが、それならそうで、翻訳学校の先生が数か月以上見てきた生徒さんの実力を判断する方が、一発勝負のトライアルよりもはるかに容易なはずです。どちらにしても、まずはこの段階で登録する翻訳者さんが「プロのレベルに達しているかどうか」をしっかりと判断できるしくみが必要ですね。

このしくみについては、ここでとやかく言っても仕方がないので、トライアルまたは翻訳学校修了時には「プロのレベルに達していると判断された」翻訳者さんについて考えてみましょう。

もしそうなら、「どうして実務ではその能力が発揮できないのか」ということになろうかと思いますが、その理由の1つに「納期」があるのかもしれません。トライアルや翻訳学校の課題に提出期限があるといっても、実務の納期に比べれば余裕があり、たっぷりと調べたり、推敲したりする時間があるはずだからです。登録がかかっているので、入念に作業するでしょう。しかし、実務ではそうはいかない。新人だからといって、クライアントがそのあたりを考慮してくれるはずもありません。

じゃあ、どうすべきか。それは、翻訳会社にかかっているのではないでしょうか。最初は納期の緩いものだけを発注して、少なくともトライアルで合格したレベルの品質を確保できるようにする。そこから徐々に納期を縮めていく。翻訳者自身も、最初はたくさんの翻訳会社に登録することを目標とせず、じっくりと腰を据えて目の前の仕事に取り組むべきだと思います。それでは生活が立ち行かなくなる?そのような経済状態であれば、やはり最初は二足のわらじ期間を設けた方がいいかもしれません(もちろん、最初からスムーズにスタートできる方はこの限りではありません)。

翻訳とはまったく関係ありませんが、文具屋さんでバイトを始めたとき、プレゼント包装の仕方を教わっていて言われたことがあります。「ゆっくり丁寧には誰でもできる、素早く丁寧にできるようにならなきゃダメ」と。

そうして数をこなすうちに、同じ品質を保ちながらも翻訳スピードが上がってくるはずです(その後、より一層品質を向上させたいと考え、またスピードが落ちる時期がくるかもしれませんが、それはこの記事では横に置いておきます)。

さて、ここまでは翻訳を始めて間もない方が納期の理由からチェッカー泣かせの訳文を納品する可能性について書きました(当然、それ以外の可能性もあるでしょう。「そもそもトライアルの内容が実務に沿っていない」とか)。でも、チェッカー泣かせの訳文を納品する翻訳者さんが必ずしも駆け出しだとは限りません。

「じゃあ、駆け出しでもない翻訳者さんの訳文の品質が低い(つまり、トライアルに合格できるようなレベルに達していないと思われる)のはなぜ?」

なぜでしょう。私も知りたいです。可能性の1つとして考えられるのは、スピードや作業量だけを追及した結果、能力が下がってしまった。あるいは、他の質の悪い翻訳を目にするなかで、自分もそのレベルでいいんだと錯覚してしまった。(※ここでは、たまたますごく難しい案件だったり、専門外の案件だったという可能性は省きます。仮にそうだとしても、一定以上の実力を持つ翻訳者ならそこまでボロボロのものは出さないと思いますが。)

もちろん生活を維持するために仕事のスピードや作業量は重要ですが、品質を犠牲にしてどうするんでしょうか。当然、報酬や納期、難易度に応じて求められる翻訳の質というのはあると思うので、過剰に高い品質を追求する必要はないだろうとは思います。ここでは、「案件ごとに求められる品質」を満たしているかどうかのお話をします。

上記のとおり、スピードや作業量を重視して一次訳のレベルで出してしまったとしたら、それはもうプロとは言えませんね。求められる品質を満たすために、一次訳を経て、推敲でどこまで完成度を上げられるかが翻訳者の真の力の見せ処ですよね。一次訳で原文をある程度「読み込んだ」翻訳者だからこそ、「推敲」という作業ができる。

ここでようやく本題。チェッカーのお仕事についてです。

他の人が翻訳したもの」をチェックしなければならないチェッカーさんが、「一度原文に目を通しただけ」で「推敲」できるわけがないんです。それ(推敲)を、通常は「翻訳者より報酬が少なく、リードタイムの短い」チェッカーさんに期待するのが間違っています。チェッカーさんがせいぜいできるのは、原文と突き合わせて、誤字、脱字、数字の誤り、(必要最低限の)不自然な日本語の修正、(必要に応じて)専門用語のチェック、そして、訳抜けがないかのチェックまででしょう。

つまり、未来堂さんのおっしゃるとおり、本来「リライト」(推敲)はチェッカーの作業範囲ではない、ということです。いくら優れたチェッカーを用意しても、翻訳者の訳文の底上げを図らない限り、いつまでたっても良くならない。

「単純明快じゃないか、じゃあチェッカーは悩む必要ないね?」

いいえ。なぜって、チェッカーは別の翻訳者が兼任することが多いからです。自分の仕事に高い信念を持っている翻訳者ほど、チェッカーをする場合に品質の低い翻訳を見るとものすごい葛藤が生まれます。自分の手を経てクライアントに出ていく以上、しっかりとした完成品を納品したいんです。それができない。そうしようとすると、本来のチェッカーの責任範囲を超えて作業しなければならなくなる。最悪、自分が一から翻訳するよりも、ストレスも時間もかかってしまう。

「じゃあ、何が望みなの?」

少なくとも、私の望みは、

①翻訳会社は、それを理解して翻訳者を選定すること(トライアルの内容をより実務に沿ったものにする、など)。
②翻訳会社は、チェッカーに過度な期待を寄せないこと。
③翻訳会社は、チェッカーに作業内容(責任範囲)を明確に指示すること(ケアレスミスのチェック)
④チェッカーの本来の責任範囲を超える作業については、翻訳会社がチェッカーに別途依頼し、その分の報酬を払うこと。
⑤そうでなければ、翻訳会社は、ケアレスミス以外のクライアントからのクレームをチェッカーのせいにしないこと。
⑥翻訳会社は、過去にクライアントから(ケアレスミス以外で)クレームを受けた翻訳者を使うことに慎重になること。
⑦翻訳者は、プロ意識を持ち、求められる品質を犠牲にしてまでスピードや作業量を追及しないこと(もしそんな事実があれば)。
⑧翻訳者は、自分の訳文を客観的に評価できるような目を養う努力をすること。

です。そうすれば、翻訳者本人も、「チェッカーに改悪された」なんて怒る必要がなくなります。もちろん、クライアントからの(ケアレスミス以外の)クレームは、プロの翻訳者なら受ける覚悟はあるでしょう。チェッカーがいる前提で(そういう気持ちで)作業するのは「プロ」とは言えないですもんね。

チェッカーも自分の責任範囲が明確になり、ある程度割り切って作業できるので、ストレス(葛藤)が軽くなるんじゃないでしょうか。

ということで長々と書いてしまいましたが、結局言いたかったことは最後の部分です。

翻訳者はその求められる品質をしっかりと満たす。一方、チェッカーは本来の責任範囲だけを作業すればいい

そうすれば、少なくとも今よりはハッピーな人が増えるはず。その鍵を握るのは「間に立つ翻訳会社の能力」ということでしょう。

なにより、翻訳者、チェッカー、翻訳会社(、そしてできればクライアント)が一体となってよいものをつくっていければいいですね!

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なかなか記事を書くまとまった時間が取れず、最近はtwitterの方がメインみたいになっていますが、ブログもぼちぼち書いていきたいと思っています(書きたいことはいっぱいある)。

前回、前々回と翻訳や英語から外れた内容だったので、そろそろ翻訳に関する記事でも、と考えたのですが、この内容は今のうちに書いておきたかったのでそうします。よかったらおつきあいください。

ブログを書き始めたのが6月末、twitterを始めたのが7月末。

当初の動機は「在宅翻訳も10年目突入を目前に控え、年齢も節目を迎えたので何か新しいことがやりたいな。どうせなら、IT/ビジネス分野の在宅翻訳を始めたいと思っている人、始めて間もない人に、自分なりに何かできることはないかな」というものでした。

それに、今まで「ことば」を扱うお仕事をしながらも、人様の文章を横から縦に置き換えることに必死で、自分の考えをことばにして(アウトプットして)こなかった、という反省もありました。

結果的に、誰かの役に立っているかどうかはわかりませんが、自分が得たものは大きかったと思います。本当に良かったなという点がいくつもあって、

【ブログの場合・翻訳】

①自分自身のことばで語ることで、自分の頭の中にあるぼんやりとしていたものがはっきりと見えてきた
②自分の頭の中にあるものを文章にすることの難しさを改めて知った
③文章にすることの難しさを知ることで、翻訳時の原文を見る目が変わった
④原文を見る目が変わることで、訳文に取り組む姿勢も変わった
⑤訳文に取り組む姿勢が変わったことで、やりがいがアップした
⑥やりがいがアップすることで、翻訳がまた少し楽しくなった
⑦翻訳がまた少し楽しくなることで、心に余裕が生まれた
⑧心に余裕が生まれたことで、訳文にもっと「あそび」を入れられるようになった
⑨訳文にもっと「あそび」を入れられるようになることで、ことばがもっと好きになった
⑩だから、うれしい!

【ブログの場合・その他】

①ブログを書くにあたって参考にしようと、他の翻訳者さんのブログを覗きに行くようなった
②そこで、ものすごく刺激をもらう
③刺激をもらうだけでなく、少しずつ交流が生まれている
④だから、うれしい!

【twitterの場合・翻訳】

①翻訳中に頭に浮かんでもすぐに消えていく考えを書き留めることができる
②限られた文字数で、簡潔に、伝わる文章を書く難しさを知った
③他の翻訳者さんたちがどんなことを考えているかがわかる
④今まで知らなかった翻訳の情報が入ってくる
⑤ブログとは違い、目に見える形で気軽に他の翻訳者さんとの交流を広げることができる
⑥だから、うれしい!

【twitterの場合・その他】

①しょうもないことをつぶやくことで、気晴らしになる
②ときどき共感してもらえる
③過去の埋もれていた記憶がよみがえる
④翻訳以外でも新しいアイデアに触れることができ、いろいろと考える機会が生まれる
⑤同じことに対しても人によって視点が違っておもしろいし、勉強になる
⑥今のトレンドがわかる
⑦趣味をシェアできる
⑧だから、うれしい!

ほかにもたくさんあったように思いますが、今ざっと思いつくだけでもこれだけ良かったことがあります。そして今後も続けていくことで、この項目はもっと増えていくんだろうな、と楽しみです。

何より大きかったのが、他分野も含め多くの翻訳者さんと交流でき、刺激をもらえること。ブログにお邪魔してやりとりさせていただいたり、twitter上でもディスカッションできたり、この場をお借りして皆さまに心からお礼を申し上げたいです。ありがとうございます。

そして、これからも新たな交流が生まれていく可能性を考えると、わくわくが止まりません。

次回の記事では、上記の良かった点について、翻訳に関する部分をもう少し踏み込んで書いていきたいと思います。

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空気を震わせる蝉の声もいつしか鳴りを潜め、今では数えるほどとなった。代わりに、虫たちが夜の帳の向こうから涼やかな音色を響かせている。むせ返るほどの熱気もずいぶんと和らぎ、夏の濃い青から透明度を増した空には少しばかりの哀愁が漂う。

夏休みの初め、蝉時雨について書いた。実はあの話には落ちがある。

せせらぎとでも言うべき川沿いの桜並木を抜け、いつもどおりの散歩道を通って市役所の支所に併設された公園へと行き着いた。昨年、深刻な運動不足を解消しようと始めた散歩だったが、単に歩くだけでは味気ないということで、デジカメを持って出掛けるようになった。それが今では目的が逆転している。当然、その日も首からデジカメをぶら下げ、木を見上げてお目当ての蝉の姿を探していた。

公園では熱暑の中、何組かの親子が元気に遊んでいる。父親と小さな女の子2人が少し離れた所から何やらこちらの様子を伺っている。不思議に思いながらも、私は木の上に黄緑色の小さな美しい被写体を見つけ、カメラを構えていた。3人がこちらに近づく。

「お姉さん」

そう父親に声をかけられた。

「お姉さん」

もう一度呼びかけられ、そちらに顔を向けた。

「はい?」

「......お姉さん、もしかして....」

「?」

「もしかして、......蝉フェチですか?」

予想もしなかったその問いに、私はとっさにこう答えた。

「あ、今木の上にきれいな色の毛虫がいたので...。残念ながら、蝉フェチではないです」

後から考えるとこの回答もどうかしていると思うが、

「そうですか、蝉フェチじゃないんですね......。お姉さん、蝉フェチじゃないんだって」

とやや残念そうに娘たちに言う若い父親の手には、蝉ががっちりと握られていた。その後、娘たちが見守るなか、父親はその蝉を高く投げ上げ、夏の空へと解放した......

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それから3人と別れ、散歩を再開したんですが、あのとき「蝉フェチです」と答えていたらどうなっていたんだろうと思うと、妄想が止まりません。なにより、「蝉フェチ」ということばがおかしすぎて、「蝉フェチって、なんやねん」とひとりエア突っ込みをしていたのは言うまでもありません。

そんなわけで、このお話もずっと書きたかったのですが、日常に忙殺されて書けずにいました。そうしている間に夏も終わってしまいそうな今、せっかくなので書いてみました。

散歩中ずっとニヤニヤが止まらず、傍から見たらさぞ気味が悪かっただろうと思います。あの後、自分の「フェチ」に対する理解がおかしいのかと不安がよぎり、辞書も調べてみました。

ご安心ください、蝉フェチではありません。

お散歩していると、こうしてときどき声を掛けられます。なんだろう、無防備なのかな?でも、こういうのもお散歩の醍醐味ですよね(ちがうか)。

この機会に、撮りためた蝉の写真を少しご紹介させてください。

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夏休みが終わりました~。来週からは学校給食も始まり、やれやれです。夏休み最終日には、息子氏から「ママ、明日から楽になるね」なんて言われ、小6の子に見透かされる母ってどうよ、と思いながら「うひひ♡」と答えておきました。「いつまでも一番の理解者でありたい」、なんて夏休み初めの記事(『【雑感】 いよいよ夏休み』)には書いていましたが、実際には息子の方が私のことをよく理解してくれていると思います。

さて、2学期は、運動会だの、修学旅行だの、音楽会だのとイベントが盛りだくさんなので、これまたあっという間に冬休みが来そうな悪寒。(^_^;)

6年生もあと少しかと思うと、もうすでに名残惜しさのような何とも言えない寂しさを感じます。秋の気配のせいでしょうか。

以前、身近な女性がこんなことを話していました。「子どもたちが大きくなり、家を出て行ったとき、自分の人生は終わったと感じた」、と。それを聞いて、この人は「母」として自分の人生を捧げてきた人なのだなぁと、私自身にはない強さを感じました。私の母もそうです。本人なりに葛藤もあったかもしれませんが、そんなことはおくびにも出さず、夫のため、家族のために良き妻・良き母として笑顔で尽くしてきてくれました。自分が母になった今、あらためて感謝せずにはいられません。

twitterなどで、職場や社会、家庭での「男女差別」の問題について声高に叫ぶ女性を見かけます。ご本人たちがそう感じて、自分の周りから良くしていきたいという信念の下で活動しておられるのはご本人たちの自由です。外で活躍したい人が、「女性」というだけで虐げられたり、活動の場を限られたりというのは、私もおかしいと思うし、男女関係なく「人間」として個々人の才能を発揮し、気持ち良い職場、そして社会になればいいなとも思います。でもね、「縁の下の力持ち」によろこびを感じている女性たちも確かにいる(もちろん、それが男性でもいいわけですが)。だからどうか、「男女差別」というひと言で、そうした女性たちに「不幸」のレッテルを貼らないでください、とだけ言いたい。少なくとも、そうして生きてきた私の母は不幸ではないと思う。女性による行き過ぎたフェミニズムは、溢れる家族への愛ととともに幸せに生きている女性にさえ、ときに「不幸」のレッテルを貼ってしまう。本当に問題を解決したいのなら、「男女差別」じゃなくて、性差も含めそれぞれが活躍できる「人間平等」でいいじゃないの、と私は思います。「ジェンダー」の問題にしてもそうです。

とはいえ、私自身は生来の独立心の強さから、常に変化を楽しむ自分でありたい。子どもが家を出ていくとき、「寂しい」と泣くよりも、「人生楽しんで来い、私も自分の人生を楽しむから」と言って送り出せる親でありたい。私自身が常に前を見て進み続けるひとりの人間として、息子に対しても「わが子」という以前に、この世に生まれ出た「ひとりの人間」として扱い、関わって行きたいと思っています。

夏休みが終わり初めて迎えた日曜の早朝、遠くからかすかに届く虫の音を聞きながら、こんなことをとりとめもなく考えたのでした。

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TED Conferenceの動画を英語の勉強に利用されている方もいらっしゃるのではないでしょうか。私は、いろいろな著名人や才能豊かな人々の考えに触れることができるのでときどき見ています。

今回は、なかでも個人的にお勧めの動画をご紹介します。
この動画、私は10回以上、へたしたら20回以上見たかもしれません。それぐらい大好きです。

脳科学者であるJill Bolte Taylorさんのプレゼンテーション。

Jill Bolte Taylor's stroke of insight(邦題:ジル・ボルト・テイラーのパワフルな洞察の発作)
https://www.ted.com/talks/jill_bolte_taylor_s_powerful_stroke_of_insight?language=ja


内容そのものも興味深いのですが、彼女が話し始めるといつの間にかその世界に引き込まれています。20分弱という長い動画にもかかわらず、笑いあり、涙ありで最後まであっという間。
状況がありありと目に浮かび、「これぞプレゼンテーション力」といった感じです。

実際にジェスチャーやスライドを交えて説明しているのでわかりやすいというのもありますが、その語り口から彼女の思考がよどみなく伝わってくるんですよね。それが彼女の魅力的な人柄と相まって人を惹きつける。

翻訳でも、よく練り込まれた原文は、こんなふうに読む人に直接訴えかけるものであるはず。それを自分の訳文でも余すところなく再現したい、それが私の目標です。

TEDの動画は、再生すると右下に[Subtitles]、[Transcript]、[FullScreen]の3つのボタンが表示されます。
[Subtitles]をクリックすると字幕の言語を選択することができ、[Transcript]で言語を選択すると、下部に各言語の訳文が表示されます。勉強になりますね。

私は常々、自分のことを右脳人間だと思っていて、この動画でテイラーさんが言っていることにとても共感を覚えます。ぜひ、みなさんも一度ご覧ください。

以下、動画を見た私の感想。

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Just powerful and brilliant. I really love this energy and sensation... It touched a chord deep within me and my right brain or spirit is saying "YES".

4月某日、うちの近くの自然公園で出会ったキツネの動画です。
この公園、春には小鳥たちもたくさんいて、お気に入りのお散歩コースです。

前にもばったり遭遇したことがあって写真を撮ったのですが、その距離5メートルくらいだったでしょうか。こっちに向かってきたらどうしようと思いながら(エキノコックスとか心配だし)、緊張で手が震えてブレブレ。

今回も出会えるかなぁ、と思いながら歩いていたのですが、なんと20メートルほど向こうからこっちをじっと見ていました。

2匹いて、映っていない方が鳴いてもう1匹を呼んでいます。母子かな?「こんこん」というよりは、「わんわん」に近い感じ。小型犬みたいな声ですね。木々の間に響いていました。

けっこう長く見つめ合って(睨みつけられて?)いたんですが、途中で慌ててカメラの動画機能で撮影。やっぱり興奮でブレブレに...



写真はこちら(完全に姿を消す前にもう一度こちらを振り向いて(睨みつけて?)くれました)

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この時期、つばめはもうすっかり巣立ちしていると思っていました。

まるまると元気よく育ったヒナたち、親が一生懸命餌を運んでくる姿は本当にほほえましくて、毎年楽しみです。

この2羽も元気に巣立っていきますように! (´・ω・`)つ―*'``*:.。. .。.:*・゜゚・*

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