IMG_6901


夏休みが終わりました~。来週からは学校給食も始まり、やれやれです。夏休み最終日には、息子氏から「ママ、明日から楽になるね」なんて言われ、小6の子に見透かされる母ってどうよ、と思いながら「うひひ♡」と答えておきました。「いつまでも一番の理解者でありたい」、なんて夏休み初めの記事(『【雑感】 いよいよ夏休み』)には書いていましたが、実際には息子の方が私のことをよく理解してくれていると思います。

さて、2学期は、運動会だの、修学旅行だの、音楽会だのとイベントが盛りだくさんなので、これまたあっという間に冬休みが来そうな悪寒。(^_^;)

6年生もあと少しかと思うと、もうすでに名残惜しさのような何とも言えない寂しさを感じます。秋の気配のせいでしょうか。

以前、身近な女性がこんなことを話していました。「子どもたちが大きくなり、家を出て行ったとき、自分の人生は終わったと感じた」、と。それを聞いて、この人は「母」として自分の人生を捧げてきた人なのだなぁと、私自身にはない強さを感じました。私の母もそうです。本人なりに葛藤もあったかもしれませんが、そんなことはおくびにも出さず、夫のため、家族のために良き妻・良き母として笑顔で尽くしてきてくれました。自分が母になった今、あらためて感謝せずにはいられません。

twitterなどで、職場や社会、家庭での「男女差別」の問題について声高に叫ぶ女性を見かけます。ご本人たちがそう感じて、自分の周りから良くしていきたいという信念の下で活動しておられるのはご本人たちの自由です。外で活躍したい人が、「女性」というだけで虐げられたり、活動の場を限られたりというのは、私もおかしいと思うし、男女関係なく「人間」として個々人の才能を発揮し、気持ち良い職場、そして社会になればいいなとも思います。でもね、「縁の下の力持ち」によろこびを感じている女性たちも確かにいる(もちろん、それが男性でもいいわけですが)。だからどうか、「男女差別」というひと言で、そうした女性たちに「不幸」のレッテルを貼らないでください、とだけ言いたい。少なくとも、そうして生きてきた私の母は不幸ではないと思う。女性による行き過ぎたフェミニズムは、溢れる家族への愛ととともに幸せに生きている女性にさえ、ときに「不幸」のレッテルを貼ってしまう。本当に問題を解決したいのなら、「男女差別」じゃなくて、性差も含めそれぞれが活躍できる「人間平等」でいいじゃないの、と私は思います。「ジェンダー」の問題にしてもそうです。

とはいえ、私自身は生来の独立心の強さから、常に変化を楽しむ自分でありたい。子どもが家を出ていくとき、「寂しい」と泣くよりも、「人生楽しんで来い、私も自分の人生を楽しむから」と言って送り出せる親でありたい。私自身が常に前を見て進み続けるひとりの人間として、息子に対しても「わが子」という以前に、この世に生まれ出た「ひとりの人間」として扱い、関わって行きたいと思っています。

夏休みが終わり初めて迎えた日曜の早朝、遠くからかすかに届く虫の音を聞きながら、こんなことをとりとめもなく考えたのでした。