めぐりめぐらせ ~ある翻訳者の関心事~

在宅翻訳歴9年目の「めぐり」と申します。分野は「IT/ビジネス」、言語は「英→日」です。 twitter: @meguri_megurase

カテゴリ:日常 > 雑感

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空気を震わせる蝉の声もいつしか鳴りを潜め、今では数えるほどとなった。代わりに、虫たちが夜の帳の向こうから涼やかな音色を響かせている。むせ返るほどの熱気もずいぶんと和らぎ、夏の濃い青から透明度を増した空には少しばかりの哀愁が漂う。

夏休みの初め、蝉時雨について書いた。実はあの話には落ちがある。

せせらぎとでも言うべき川沿いの桜並木を抜け、いつもどおりの散歩道を通って市役所の支所に併設された公園へと行き着いた。昨年、深刻な運動不足を解消しようと始めた散歩だったが、単に歩くだけでは味気ないということで、デジカメを持って出掛けるようになった。それが今では目的が逆転している。当然、その日も首からデジカメをぶら下げ、木を見上げてお目当ての蝉の姿を探していた。

公園では熱暑の中、何組かの親子が元気に遊んでいる。父親と小さな女の子2人が少し離れた所から何やらこちらの様子を伺っている。不思議に思いながらも、私は木の上に黄緑色の小さな美しい被写体を見つけ、カメラを構えていた。3人がこちらに近づく。

「お姉さん」

そう父親に声をかけられた。

「お姉さん」

もう一度呼びかけられ、そちらに顔を向けた。

「はい?」

「......お姉さん、もしかして....」

「?」

「もしかして、......蝉フェチですか?」

予想もしなかったその問いに、私はとっさにこう答えた。

「あ、今木の上にきれいな色の毛虫がいたので...。残念ながら、蝉フェチではないです」

後から考えるとこの回答もどうかしていると思うが、

「そうですか、蝉フェチじゃないんですね......。お姉さん、蝉フェチじゃないんだって」

とやや残念そうに娘たちに言う若い父親の手には、蝉ががっちりと握られていた。その後、娘たちが見守るなか、父親はその蝉を高く投げ上げ、夏の空へと解放した......

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それから3人と別れ、散歩を再開したんですが、あのとき「蝉フェチです」と答えていたらどうなっていたんだろうと思うと、妄想が止まりません。なにより、「蝉フェチ」ということばがおかしすぎて、「蝉フェチって、なんやねん」とひとりエア突っ込みをしていたのは言うまでもありません。

そんなわけで、このお話もずっと書きたかったのですが、日常に忙殺されて書けずにいました。そうしている間に夏も終わってしまいそうな今、せっかくなので書いてみました。

散歩中ずっとニヤニヤが止まらず、傍から見たらさぞ気味が悪かっただろうと思います。あの後、自分の「フェチ」に対する理解がおかしいのかと不安がよぎり、辞書も調べてみました。

ご安心ください、蝉フェチではありません。

お散歩していると、こうしてときどき声を掛けられます。なんだろう、無防備なのかな?でも、こういうのもお散歩の醍醐味ですよね(ちがうか)。

この機会に、撮りためた蝉の写真を少しご紹介させてください。

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夏休みが終わりました~。来週からは学校給食も始まり、やれやれです。夏休み最終日には、息子氏から「ママ、明日から楽になるね」なんて言われ、小6の子に見透かされる母ってどうよ、と思いながら「うひひ♡」と答えておきました。「いつまでも一番の理解者でありたい」、なんて夏休み初めの記事(『【雑感】 いよいよ夏休み』)には書いていましたが、実際には息子の方が私のことをよく理解してくれていると思います。

さて、2学期は、運動会だの、修学旅行だの、音楽会だのとイベントが盛りだくさんなので、これまたあっという間に冬休みが来そうな悪寒。(^_^;)

6年生もあと少しかと思うと、もうすでに名残惜しさのような何とも言えない寂しさを感じます。秋の気配のせいでしょうか。

以前、身近な女性がこんなことを話していました。「子どもたちが大きくなり、家を出て行ったとき、自分の人生は終わったと感じた」、と。それを聞いて、この人は「母」として自分の人生を捧げてきた人なのだなぁと、私自身にはない強さを感じました。私の母もそうです。本人なりに葛藤もあったかもしれませんが、そんなことはおくびにも出さず、夫のため、家族のために良き妻・良き母として笑顔で尽くしてきてくれました。自分が母になった今、あらためて感謝せずにはいられません。

twitterなどで、職場や社会、家庭での「男女差別」の問題について声高に叫ぶ女性を見かけます。ご本人たちがそう感じて、自分の周りから良くしていきたいという信念の下で活動しておられるのはご本人たちの自由です。外で活躍したい人が、「女性」というだけで虐げられたり、活動の場を限られたりというのは、私もおかしいと思うし、男女関係なく「人間」として個々人の才能を発揮し、気持ち良い職場、そして社会になればいいなとも思います。でもね、「縁の下の力持ち」によろこびを感じている女性たちも確かにいる(もちろん、それが男性でもいいわけですが)。だからどうか、「男女差別」というひと言で、そうした女性たちに「不幸」のレッテルを貼らないでください、とだけ言いたい。少なくとも、そうして生きてきた私の母は不幸ではないと思う。女性による行き過ぎたフェミニズムは、溢れる家族への愛ととともに幸せに生きている女性にさえ、ときに「不幸」のレッテルを貼ってしまう。本当に問題を解決したいのなら、「男女差別」じゃなくて、性差も含めそれぞれが活躍できる「人間平等」でいいじゃないの、と私は思います。「ジェンダー」の問題にしてもそうです。

とはいえ、私自身は生来の独立心の強さから、常に変化を楽しむ自分でありたい。子どもが家を出ていくとき、「寂しい」と泣くよりも、「人生楽しんで来い、私も自分の人生を楽しむから」と言って送り出せる親でありたい。私自身が常に前を見て進み続けるひとりの人間として、息子に対しても「わが子」という以前に、この世に生まれ出た「ひとりの人間」として扱い、関わって行きたいと思っています。

夏休みが終わり初めて迎えた日曜の早朝、遠くからかすかに届く虫の音を聞きながら、こんなことをとりとめもなく考えたのでした。

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ここらへんもようやく梅雨が明けました。

昨日は、親が子どもの通知表をもらいに午後から小学校に行く日でした(子どもは半日授業)。そして明日からいよいよ(親にとっては)長い長い夏休みに突入します。毎日のお昼ご飯のことを考えると、憂鬱になると同時に給食のありがたみが身に染みてわかります...。でもそれも今年まで。来年からは恐怖のお弁当作りが始まります。うちの地方自治体では、息子が中3に上がるときに中学校も給食制になるといううわさがありますが、なんとか1年でも前倒しにならないものか...(´;ω;`)。欧米のように、お昼はピーナッツバター・サンドウィッチとチップスなんてわけにもいかないですしね。

それにしても、うちの小学校では通知表の評価が3段階(ABC)で、いまいちピンときません。

なんでも、「A」はテストでコンスタントに95点以上取れていないと(1回でも80点台を取ると)付かないそう(ほかにももちろん授業態度などが加味されるようですが)。「B」はその学年で習得が期待される学力のレベルをクリアしている、「C」はテストの得点が70点未満(その他もろもろ)でBへの学力向上要、というのが評価指標だということです(これさえも、6年目にして初耳)。

息子が通う小学校は私の母校でもありますが、私が通っていた当時は5段階評価でした(5が大変良い、4が良い、3がふつう...以下略)。3段階評価だと「A=5」ということはわかるのですが、じゃあBは?ってなりますよね。自分の感覚だと、4と3の間にはけっこう大きな開きがあります(3を取るとがっかりしていたぐらい)。

3段階評価になったのは先生の負担軽減のためだと聞いたことがあるので仕方ないのかもしれませんが、個人的には子どものモチベーションを上げるためにも5段階評価がいいなぁと思います。

特に母校ということもあって、昔と今の小学校の違いにどうしても目が行ってしまいます。
通知表の評価方法以外にも、昔→今の変化としては、

・通知表を子どもがもらう→親がもらいにいく

・クラス替えが2年ごと→1年ごと(いじめ対策)

・子どもが勝手に宿題してた→親が宿題を見る(音読や答え合わせなど)

・親のPTA参加は任意→3ポイント制で最低でも2回(ただし、部長や本部役員をやると1回でOK←とはいえ、週に何回も小学校に顔を出さなければならず、勤め人には実質不可能)

・遠足といえばおやつ→完全に廃止(アレルギー対策)

・夏は扇風機もなし→エアコン

・修学旅行先が伊勢→広島

・6年生の運動会の組体操でピラミッド→ピラミッドはなくす方向

・授業参観は一大イベント→1学期に2回ぐらいある勢い(土曜の父親参観は廃止)。親が来るイベントとしては、運動会のほかにも、音楽会やフェスティバル、マラソン大会、通知表もらいなど...

なんかもっといっぱいあるような気もしますが、今思いついたのでこれだけ。

私としては、「通知表を子どもがもらう→親がもらう」、「クラス替えが2年ごと→1年ごと」、「遠足といえばおやつ→完全に廃止」が通知表の評価方法に続き特に残念だなぁと感じる点です。

子どもの頃の通知表って、先生から1人ずつ名前を呼ばれて教室の前にもらいにいくあのドキドキ感が良かったのに...と思います。なぜ変えちゃったんだろう?

「学級崩壊」ということばが聞かれるようになって久しいですが、今もそんな現象あるのかな?
うちの小学校に限って言えば、「学級崩壊」や「いじめ」が起こっているなんて聞いたことありません。いじめはもちろん許されることではありませんが、子どもどうしのトラブルはある程度自分たちで解決させることも大切だと思うんですよね。
私は3~6年生までの4年間同じ担任の先生で(5年生のクラス替えでまた同じ先生だった)とてもいい思い出があるので、せめて2年間はクラス替えがない方がいいなと思っています。5クラスあるので、毎年クラス替えがあると親どうしも誰が誰のお母さんかわからない...(どうしても、前から知り合いの幼稚園組と保育園組に分かれてしまう印象。私は目的のはっきりしない集団行動が苦手なので、どちらにも属していませんが)。

遠足の一大イベントであるおやつの廃止。遠足の前の日に300円握りしめて何を買うか真剣に悩んでいたのも込みで遠足だったのに。今は「バナナはおやつですか?デザートですか?」なんてのもないのね、と思うとさびしいです。

ああ、それと今は何かと親の参加を求められる感じに違和感があります。昔はそんなことなかったですよね?PTAにしても、宿題にしても、授業参観にしても...。PTAは本当に必要なら行きますが、集まることが目的になっているフシがあって、どうも大きな価値を見出せません。

さて、先生曰く6年生の生活も残すところ120日あまり。あっという間に過ぎてしまうんだろうなぁ。そろそろ反抗期にさしかかろうかという息子。親と子の関係性もこれからどんどん変わっていくんだろうと思いますが、いつまでも一番の理解者でありたいと思っています。

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