IMG_4744


2017年新年のご挨拶でも書いたように、今年は読書の時間も意識的に増やしていきたいと考えています。この記事を書くにあたってどのカテゴリに入れようかと考えたのですが、「翻訳」でもないし、「趣味」だと積極性が感じられないので、自分への言い聞かせの意味も込めて「勉強」に分類します。

目的はアウトプット。ブログを始めた目的の1つでもありますが、日本語力の向上にアウトプットも不可欠だということで、たまにこうして読んだ本について書いていきたいと思います(たぶん)。

2016年末から2017年今日現在までに読んだ本は計7冊。今回は読み終えたばかりの『機械じかけの猫』について書きます。よろしければおつきあいください。

□■□■□■□■□

『機械じかけの猫』(上・下、トリイ・ヘイデン著、入江真佐子訳)

この本は書店の平積みから取ったはずなので、2000年の初版当時に購入したことになる。かれこれ16年前。まだ独身だったころだ。実家にあった本はずいぶんと処分したけれど、なぜかこの本は残っていた。

頭の片隅にサイコ・ホラーやサイコ・サスペンス的な読後感が微かに残ってはいたものの、詳細はすでに忘却の彼方。この本のキーパーソンの1人である男の子に対するおおよその印象も、当時は「精神に異常をきたした子」にとどまっていたように思うが、一児の親となった今、それだけのフラットな心持ちではいられず、より感情移入して読むこととなり、もはやこの本は自分の中で「サイコ」という単純な括りではなくなった。また、私自身、初読時以降に自閉症の人と一時期過ごす機会があったが、共通点らしきものは浮かばないながらも、時折彼の姿が頭の中でオーバーラップしたりもした。

この本自体は過去・現在・異世界の3つの物語が交互に進行され、上巻では主人公格の1人である女性が主な語り手となって話の表面をなぞるように進むため、物語の輪郭がぼやけ、じれったさを感じたりもしたが(それも作者の計算の内だろう)、下巻へと進むにつれ「語り」色は薄れ、個々の物語が具体性を帯びて輪郭がより鮮明に描かれるようになり、それぞれが独立した読み物としての緊迫感を増していった。そして、最後にはすべての物語が集約され交差する。

ハッピーな読み物では決してない。どちらかといえば、冬の曇天あるいは嵐の前の暗雲を思わせるどんよりとした不穏な空気が終始つきまとうような内容なので、人によって向き不向き・好き嫌いもやむなしといったところだろう。構成がしっかりしていて読ませる文章なので、上下巻共に350頁近くあり、字も大きくはないが、気が付けば一気に読み終えていた。個人的に嫌いではない。

過去に一度読んだ本とあって、今回特に感じたのは「1冊の本が持つ意味は人生のステージによって変わる」ということ。つまり、いつ読んだかによって本の印象、もっと言えば感じられる設定やことばの重み、登場人物への感情移入や同情の念というのは大きく変わるのだなぁということ。そして、重ねた年のぶん、背景に対する理解度も増す(若い頃には想像力で補っていた部分を実感を持って理解できる)のだということ。

一生かかっても読み切れない数の本が巷に溢れ、子どもの頃ならいざしらず、一度読んだ本を読み返す時間的余裕もそうそうない中で、人生の別のステージに進んだときにあえてもう一度同じ本を手に取ってみることのおもしろさを発見したように思う。大なり小なりそこから学ぶこともきっとあるだろう。なによりも、以前とは違う感想を持って読み終えたとき、気付かない間に変化した自分の考え方やライフスタイルを見つめ直し、もしかすると忘れてしまっていた大切なことを思い出すきっかけになることもあるのかもしれない。今後も折に触れ昔読んだ本を手に取りたいと思った。